その起源や成り立ち、数多くの特殊な神事など謎の多い諏訪大社ですが、すでに700年ほど前から「諏訪七不思議」として古文書に記録されています。
当時の人々は何に不思議を感じ、また、それは現在の私たちの目にどのように映るのでしょうか。この「諏訪七不思議」は諏訪大社上社・下社で内容が異なりますが、ここでは「下社七不思議」について見ていきます。
巨大な杉の木がいびきをかく?!『根入杉』
秋宮境内正面にそびえる現在の「寝入(ねいり)の杉」は、推定樹齢600~800年、樹高約35m、外周約5.3mの巨木です。丑三ツ時(深夜2時~2時半ごろ)に枝を三寸下げて眠り、幹に耳を当てるといびきが聞こえるといわれています。あまりにも大きい枝葉をピンと張るのに疲れてしまって、夜は枝を下ろして休んでいると考えたのかもしれません。夜の闇に浮かぶ巨木のシルエットは、夜更けの不気味さもあいまって人々の想像力をかき立てます。
他にも落ち葉を煎じて飲ませると、子どもの夜泣きが止まるとか、国家に変事があるときはうなりを発するなど様々な言い伝えがあります。
ひと月でお米が実る?!『御作田の早苗』
春宮と秋宮を結ぶちょうどなかほど、中山道沿いに位置する小さな古社御作田(みさくだ)社では、6月の末に植えた稲が8月1日には収穫できたといわれています。
現在でも6月30日の祭典には苗を植え、さすがにひと月とは言えませんが、実際のところほかの田地に比べて収穫は早いそうです。近くには汲み湯もあることから引いている湧き水が温かいのだとか、適度に地熱があるからだなどという噂もあります科学的に確かめたことはないようです。
夜を徹して小豆粥を炊く?!『筒粥の神事』
農耕神としての代表的な祭りで、一年の農作を占うのがこの筒粥(つつがゆ)の神事です。全国の多くの神社にも同様の神事が残っていますが、ここ春宮では、古式にのっとって採火し、正装した神官らが夜を徹し奉仕するもので特に有名です。
春宮の筒粥の神事は、毎年1月14日の夜半から15日の早朝にかけて筒粥殿で行われます。大釜に葦の筒(茎の部分)44本と白米と小豆をいれ粥を炊き続け、葦の筒の中に入ったお粥の量で43種の農作物の作柄と世の中全般の豊凶を占います。
早朝5時、取り出した葦の筒を拝殿に移し、「夏大根 上の中」「そば 中の上」などと作物の種類ごとに一本ずつ神様のご宣託が読み上げられます。
この古式ゆかしいお祭り、ぜひ見学したいものですが、時期が時期だけに寒さとの戦いになります。とはいえ、徹夜で奉仕する神職さんたちの比ではありませんね。
決して沈まない島?!『浮島』
春宮横を流れる砥川は、諏訪湖北岸最大の河で、今まで度々氾濫を繰り返して来ました。しかし、お宮の裏手にあるこの浮島(うきしま)は、どんな洪水にも流されたことがなく、濁流の渦巻く大水の時でも浮いているように見えたため、浮島と名付けられたといいます。
現在の浮島は、石垣などで整備されているため、「決して沈まない」といわれてもピンと来ないかもしれませんが、おそらく昔は中州のような頼りない場所だったのでしょう。
浮島の上には祓戸大神を祀る浮島社があり、毎年6月30日には御作田社の祭りに引き続き祭典が行われ、川辺に設けた茅輪をくぐって夏越の安息を祈ります。
不浄なものが触れるとたちまち湯が濁る?!『湯口の清濁』
上社にお住まいになられた女神様(八坂刀売神)が日ごろ化粧に使われていた湯を綿に含ませて下社に渡られた。その時滴り落ちた湯が、上諏訪から下諏訪にかけての温泉を言われています。
最後にその綿を置いたところが下社の地で、そこからすさまじい勢いで湯が噴出しため、「綿の湯」と呼ばれるようになりました。この湯は、神社に属する神聖な精進の湯とされ、不浄な者が入るとたちまち湯が濁り入浴を禁じていたそうです。
そんな神湯「綿の湯」も江戸時代になると街道の発達とともに庶民の湯となり、天下の名湯として知れ渡りました。現在、源泉は昔よりも細くなってしまい、「綿の湯」のみを源湯とした共同浴場はありませんが、周辺のお宿の源泉は今も変わらず100%「綿の湯」です。すぐ近くの児湯には綿の湯源泉も含まれていますが、児湯に毎日通っていると気づくかもしれません。「あれ?今日はちょっと茶色っぽく濁っているような…」。たぶん、あなたが悪人なわけではないでしょう。お湯の様子が変化するのも、天然温泉の醍醐味ですね。
男神様が凍った湖を渡って女神様に会いに行く恋の道?!『御神渡』
冬、全面凍結した諏訪湖に亀裂が入り、巨大な氷の筋が山脈上に湖面を走る現象を御神渡(おみわたり)といいます。上社の男神様(建御名方神)が下社の女神様(八坂刀売神)のところに通った道だというロマンチックな伝説もありますが、政治(まつりごと)が占いによって行われた時代には、この御神渡の方向や形によってその年の吉凶が占われたほど、この宣託は、国家にとって非常に重要でした。
現在、御神渡に関して、諏訪大社は直接お祭りをしていませんが、南北朝時代の縁起には、「御渡(※1)は当社の御幸(※2)である」と書かれています。諏訪大社に上社と下社があるのも、御渡信仰がベースにあったからと考える人もいるようです。自然現象を御幸に見立てるとは他に類をみませんし、スケールの大きさも別格です。
※1 通称は「御神渡」ですが、正式には「御渡」といいます。
※2 御幸というのは、神様が一時的に移動すること。いわゆる「おみこし」も本来これにあたり、多くの古社ではそれを例大祭としています。
太陽・月・星が同時に見える?!『穂屋野の三光』
諏訪大社の狩猟関係の神事のうち、最重要視された御射山祭※の最後に太陽・月・星の3つの光を同時に拝むことができたといいます。下社の御射山では池に映って見えるとか、小海町、松原諏方社の御射山では、ご神木に上ると見えるとか、様々な伝承があります。明け方など条件がしっかりそろえば実際に見える場合もあるようです。
ちなみに、太陽と星と月が同時に見えることを「三光信仰」といいますが、確かなルーツや歴史は全く分かっていません。御射山信仰に発している可能性も十分あり得ますね。
※御射山祭(穂屋祭 ほやさい)…平安・鎌倉時代、毎年8月26日~28日の3日間の間、山の神をお祀りする御射山祭が現在の旧御射山で行われました。神にささげる供物を狩る神事「御狩神事」や流鏑馬、笠懸、犬追いなどの競技や相撲など奉納のための芸能が盛大に行われ、大賑わいだったそうです。現代風にいえば、「武芸キャンプフェス」という感じでしょうか。霧ヶ峰にある旧御射山遺跡は、江戸時代初期までこの祭りが行われた祭祀遺跡です。現在、御射山社は下諏訪林道沿いに移され、御射山祭では、数え年で2歳の子どもの厄除け・健康の御祈祷を主に行っています。
執筆協力:スワニミズム事務局長 石埜三千穂(いしのみちほ)