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梶原塚

金刺盛澄による梶原平三景時への報恩の塚

諏訪大社下社の大祝(おおほうり)であり、木曾義仲への忠義厚き武士でもあった金刺盛澄(かなさしもりずみ)。
源頼朝による義仲討伐後、盛澄は死罪と断罪され、鎌倉幕府の有力御家人であった梶原平三景時(かじわらへいぞうかげとき)に身柄を預けられました。
しかし景時は盛澄の類まれなる弓術の技が失われることを惜しみ、頼朝へ進言して盛澄の流鏑馬の技を上覧させます。
盛澄の非凡な才を目にした頼朝は「これは諏訪明神の加護であり、神技である」と感嘆し、盛澄は死罪を免れることができました。
頼朝死亡後の権力争いにより景時が駿河国で没した後、盛澄は景時の恩に報いるため諏訪大社下社の上座堂に塚を建て、五三の桐の太刀を納めて祀りました。
その後、明治11~12年頃に「上座堂 梶原塚」の石碑が建てられましたが、明治38年には石碑は旧菅野町公会所に、昭和16年には現在の場所へと移転しました。
毎年9月には菅野町内で例祭が執り行われています。

梶原塚パンフレット


Informatiaon Information

住所 〒393-0000 長野県諏訪郡下諏訪町木の下
駐車場 なし
トイレ なし
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